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人はなぜ特定のブランドに愛着や自己を感じるのか?

2025.11.29

Column

※こちらの記事は 2025 年11月に執筆した記事を加筆修正したものです


私の場合、物心がついた頃からサッカーをやっていたこと、そして現在こういった仕事をしているのも相まって、「スポーツブランド」への眼差しには特別なものがあると思います。スポーツブランド以外の「ブランド」と言われるようなもの、例えば車を選ぶときや、洋服を選ぶときにも、必ず「ブランド」は付き纏います。横に並べられる「ブランド」が多ければ多いほど、それらは対比対象となって、その対立構造に置かれた両者は"違い"を浮き彫りにします。


シャンプーなど日用品の「絶対に買わなければならないようなもの=選ばなければならないもの」におけるブランディングという言葉・方法論の内実と、スポーツブランドやカーブランドのようなものに対して使われるブランディングの内実は同じようで違うものだと思っていますが、私は後者にすごく興味があって、サッカークラブやスポーツ関連におけるブランディングも大きく分ければ後者に属している行為だと解釈をしています。


では、それらにおいて、なぜ特定のブランドに対して"だけ"愛着を感じたり、アイデンティティを感じたりするのでしょうか?
もちろんそれがわかれば苦労はしませんし、あらゆる研究者が何かしらの見解をロジカルに述べているトピックかと思います。私の場合、特定のスポーツブランドに対してずっと⻑い間愛着や自己との繋がりのようなものを感じていました。


そしてそれ(特定のブランドへの眼差し)は決して覆るはずがないものだと思っていた。
ところが、です。

ブランドからブランドへ

特定のブランドに対して普通じゃない何かを感じることもあれば、ある商品に対してそれを感じることもありますし、かなり複雑な構造をしているであろうブランドに対する何かしらの注目や思考や感情や記憶ですが(それを取り合っているのが資本主義ですが)、ドイツで一度にあらゆるブランドのショップに行くことがあり、そこでこれまでとは微妙に違う感覚があったので、ちょっと考えてみたいと思います。


私は大のNIKE好きな人間です。衣服や靴や何かしのグッズを買うときは、基本的にNIKE以外のものには興味を示しませんでした。ブランディングを行っているチームでもNIKEを採用するほど(これには別の色々な事情がありますが)、私はNIKEが好きです。


私なんてものは別になんのブランドが好きでも両者にとってはなんでもいいわけですけど、個人に起きたことを個人なりに分析することは意義がある気がする。ただ今回「あれ...adidas めっちゃかっこいいぞ......」となって"しまい"、そうすると私の中での「NIKE絶対」という状況は、少なくとも覆ってしまったようです。


この「かっこいい」というのは、表層的な見た目や機能などではなく、もっと深いところで人間が感じるあらゆることが統合された言葉です。なぜadidasに対して、NIKE以上に「かっこいい」と思ってしまったのか。

NIKE のネガティブ×adidas のポジティブ

まず、そもそものNIKEに対するネガティブな感情が溜まりに溜まっていた(もちろん勝手にです)ことは間違いありません。


ざっくり表現すると、そのNIKEへのネガティブな感情が溜まっているタイミングでadidasに触れ、adidasへの愛着を増やしていったことが重なって、こういった「変換」が起きたのかもしれません。それからの私は単純ですから、adidasのコンテンツに触れ、adidasのプロダクトを購入し(早い)、adidasというブランドに対して「明らかに」異なる感情を抱き始めました。


もちろんNIKEさよならってことではないですが、少なくとも「変換」が起きた。これは個人的にはかなり面白い(興味深い)現象です。一生NIKEしか愛せないと思っていたのに笑

ブランドへのロイヤリティ

忠誠心と訳される「ロイヤリティ」をあげるために、ブランドは何をしているのか。私は、そこには時代性というものが深く関わっていて、適切な変化と持続性、また文脈や歴史を伝え続けることが大切だと感じていますが、スポーツブランドの場合、どのような要素があるのか簡単に羅列してみたいと思います。


1.商品のデザイン(見た目等)
2.商品の機能性
3.ブランドの哲学やブランドが出すメッセージ
4.関与するアスリートやアーティストやクリエイター
5.ブランドの歴史的背景や誕生の地
6.ブランドを身につけている人のキャラクター
7.契約スポーツクラブ
8.広告物の質/種類/態度


こんなもんでしょうか。ブランドとは「情報の塊」だと私は理解しているので、言ってしまえば「全て」なのですが、これ以外にも例えば「所属チームがそのブランドだから」とか、「たまたま持ってたから」とか「両親が好きだから」とかの要素もありますが、これらは「能動的選択」とは言えない気がするので今回は除外しています。


これらの要素で出来上がる「情報の塊」と、個人の人生や「タイミング」が重なって、特定のブランドに愛着を持ち続けたり、私に起こったような「変換」が時に起こりうる。

なぜNIKEよりadidasがかっこよく見えたのか

adidasのアウトレットを一通り見た後に、NIKEやPumaなどのアウトレットにも足を運ぶレアな体験をしたのですが、adidasの圧勝でした。


私がNIKEのアウトレットに対してテンションが上がらなかったのは、そういえばNIKEというのは「シンプル」という見た目にこそ魅力があったのだ、ということが大きな理由の一つではないか、と気がつきました。NIKEというのは圧倒的にスポーツの中ではトップランナーで、それこそadidasと比較されることで両者が存在していたのだと思いますが、基本的にどのブランドも「NIKE の真似をする」んです。NIKEっぽいデザインをし、NIKEっぽい広告をし、NIKEっぽいメッセージや哲学を持とうとする。それが「くるところまできた」のかもしれないなと、アウトレットで一人思いました。


コモディティ化することで、NIKEっぽいものが量産される。その結果、飽きが来た。もちろん、NIKEがシンプルなデザインでも成立するのは、その記号(ロゴ)に膨大な文脈が詰まっているからなので、例えばぽっと出のブランドが左胸にロゴだけをデザインした(NIKEっぽい)ものを製造しても、それは「それっぽい」だけでちっとも"かっこよく"はなりません。


でも、それっぽいものが量産されることによって、「それ」が価値を下げてしまうこともある。これは、極めて難しい問題だなと思いました。時代性もあるし、周期もあるし、結局NIKEもadidasもかっこいいん(人の好みによる)ですけど、私個人に起きた感情の変化は、非常に面白い事例だなと思ったので、記録してみました。